pinokio360'はっとちゃん

はっとちゃんの記事

# 18年 2月25日 日曜

# 18年 2月25日 日曜

「これで、あそぼ」「いっしょに、あそぼ」という。
くまのお人形の顔や服を型にはめるやつ。笑顔・泣き顔、パパ・ママ・子供たち。何種類かの洋服と足元があって自由に組み合わせられる。

「じゃあ、じいちゃんはこの子にこの服着せようと」
すると、「あかん」「違う」とか言って、自分の考えにあわないと取り替えてしまうのである。どうやら、自分の頭の中には正解があるらしい。笑顔の時に着る服、あるいは服にセットとなった靴。あるいはママがつけたお洋服とお揃いでないといけないとか??
だから、一緒にあそぼとはいっても、一緒には遊べない。まわりは自分の考えの支配下でなければならないのだ。わがままというのはそういうことだ。
しかも、しばらくたつと別のことに目移りする。
今度は絵本を読んでという。読んでやるがさっぱり聞いてない。もう何度も何十遍も見ている本だからどこに何がのっているか熟知している。
「ここに、ことりさんがいる」いつもそう指摘する。気に入ってるのだろうか。

「そうだね、かわいい小鳥さんだね」と相槌を打たねばならない。そうしないと、「これことりさん」と同意を求められる。わかってるって、いつもそうやってるんだから。
こちらが同意したら、話に関係なくまた次のページに進んで何か言ううんだ。そんな繰り返しだが、また別のことに気が移る・・・。遊ぶというのはそういう繰り返し。

金曜日、幸の湯に行くと、しばらくして同じ保育所ヒル組の男の子がやって来た。お父さんともうすぐ小学生になる兄と3人だ。ひごろから、「はっちゃんだ」と向こうもよく知っている。気さくな人柄だといってママ同士も仲が良いらしい。「一緒に食べる」「一緒に入る」で大はしゃぎだった。向こうの子がお父さんに抱っこなどと甘えると「はっちゃんも」などと言ってそのお父さんに2人抱っこしてもらってた。
自分勝手なことができていると、「いや」と言ってわたしの手を振り払い近寄らせない。せっかく風呂に行ったのに遊んでばかりでほとんど洗ってない。最後に十分にぬくもらせてから出た。着替えは負けん気を出してほとんど自分で済ませることができた。水木君の車に乗るなどとついていったが、まあハイタッチだけしておとなしく帰った。

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